2003年 7月号 編集責任者 兵庫フットボールクラブ
代表 永浜 和紀
全日本少年サッカー大会 県予選を終えて
6月14日(土) 兵庫県大会初日
1回戦 兵庫FC 0−0 龍野JSC PK 1−4
残念ながら兵庫県大会3連覇の夢は果たせなかった。
試合前のウオーミングアップから、リラックスし、いいムードで試合を迎えたが、試合が始まると、緊張感に包まれ、いい形を作れない時間が続いた。開始、5分、得田のファールでPKを与えたが、GK源がシュートを止め、事なきを得る。これでリズムに乗れるかと思ったが、高木がまったく動けない。やり慣れたDFにポジションをもどすが、精神状態は変わらず交代。
シュート体制にもちことなくむやみやたらにシュートを打ち続けるエース山本に不安を感じていた。しかし、これを乗り越えなければ優勝はないと信じ、「もっとドリブルを使うように。」という指示を出すが、プレーには何の変化もない。
ハーフタイムでは、選手の交代・ポジションの変更も考えたが、これを乗り越えることが目の前の課題と信じ、そのままで後半をスタート。前半よりは動き出しが良くなり、チャンスを作るが、ゴールができない。そんな重苦しい中で、平川はビッグチャンスを作り、相手GKと1対1。これで決まりと思ったが、シュートはゴールバーの上。その後も、決定機をことごとく逃す。終了間際、ゴール前1mでの決定機にもシュートのタイミングが遅れDFに阻まれる。
PK合戦となったとき、当然、1番手は、兵庫FCのエース平川。(兵庫県トレセンのゲームメーカー。兵庫県の中心選手。) しかし、彼はその大役を拒んだ。若い頃の私なら、おそらくひっぱたいてでも、彼に蹴らせたが、どういうわけか、他の選手を指名した。この段階で勝敗は決まっていたのかもしれない。 立て続けに二人の選手がPKをはずし、勝負あり。相手チームに1本のシュートも打たせていない中での敗戦は、指導者の責任。また、「このチームは精神的に弱い。」ことを十分に認識し、それに取り組んできての県大会。選手の気持ちをコントロールできなかった自分自身が情けない。
中国大会優勝チーム 広島高陽とも5-0の勝利。関西の強豪チームとの対戦も圧倒的な勝利を収め、全国大会ベスト4の目標に一番近づいたチームとして期待していたが、まさかの1回戦負け。
兵庫FCの歴史を振り返ると、 運動能力では負けていても確かな個人技と戦術で相手の隙を突いて1点を奪い勝利をものにするずるさがあった。しかし、今年は、兵庫FCのよさがまったくでなかった。私自身も、ハーフタイムで、何の指示もださなかった。個人技では相手を圧倒している現実を認識しており、個人の力を信じきっていた。予想通り、個人技で決定機を何度も作ったが、冷静な判断を要求されるシュートチャンスで、精神的な弱さからゴールを奪えなかった。
「今年のチームは、兵庫FCの歴史の中でも最高のチームだろう。」と思っていたが、それは目に見える力だけを見ての判断であった。眼に見えない力を正確に判断できていなかった。
子どもたちにも私にも、厳しい現実である。これをどう受け止め、今後どう努力するか。「本番に弱い学年だったね。」という記憶で終わるのか、秋の大会で実力を証明できるのか。私自身、自問自答している。
ボーイズ4年生の試合を思い出す。4年生のDFは、相手FWにボールが出るとまずポジションを下げ、深く守ることを選択する。3年生の選手を同じポジションに起用すると、ボールがFWにわたるとき、ボールを奪いに近寄る。
攻撃的な選手は、DFをしても、ボールを奪うことを優先させる。「4年生の子どもにこのことを教えても、そのときはできるだろうが、積極性のない守備的な選手は、大事な試合では、守りに入る。この人間的な精神状態から起きる選択肢の違いをどう変えていくのか。」大きな課題だなと話し合っていた。
そのために、ちびっ子選手には、ミニゲームで勝利を目指す本能を引き出しているのだが、人間の持った性質というのはなかなか変えられない。
人間の本質・性格、そんなところまで指導者が変えられるのだろうか。考えさせられる今年の県大会であった。できないと思われることを実現させる指導者になりたいと思う。何歳になっても、毎日が修行なのかもしれない。
応援してくれた多くの方の期待を裏切り、申し訳なく思っています。この日のために、子どもをバックアップしてくれた選手の保護者の皆様には、会わせる顔もありません。力のない指導者ですが、秋に向けてがんばります。今後も同様のご支援をお願いします。